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広島高等裁判所 昭和25年(う)670号 判決

控訴人 被告人 李鐘玉

弁護人 弘重定一

検察官 津秋午郎関与

主文

本件控訴は之を棄却する。

理由

本件控訴の趣意は別紙控訴趣意書と題する書面に記載の通りである。

然し乍ら原判決が挙げている証拠を綜合すれば原判示事実を認めるに充分である。被告人は原判示窃盗の事実を否認し、本件の物件は氏名不詳の者から買受けたものであると述べて居るけれどもその売主については記録上之を確認するに足る証拠がなく、被告人の右供述は前記諸証拠に照し措信出来ない。

被告人が本件物件盗難の時及場所に近接した時及場所において、本件物件を所持していたことは、被告人も認めるところであつて之を他人から買受けたものだとの供述が不自然であつて信用出来ないものであると認められる以上被告人を窃盗犯人と断定することは経験則にも採証の法則にも違背しないものと云わねばならない。

原判決がその列挙の証拠によつて原判示事実を認定したことに所論のような違法はない。

それで刑事訴訟法第三百九十六条に従つて本件控訴を棄却することとした次第である。

(裁判長判事 柳田躬則 判事 藤井寛 判事 永見真人)

控訴趣意書

第一、被告人の主張する事実

記録に散見するところを綜合すれば左の通り要約される。

(イ) 事件当日昼頃下関市伊崎町(竹崎町に接続する海岸の町)金沢古物店前で琴平丸船員であると自ら名乗つて被告人に対しその所有する中古ロープを買はぬかと申込んだ。

(ロ) 相手方は代金及目的物の引渡場所と時刻とを告げた。

(ハ) 被告人は同日夕方知人金本某の伝馬船に乗り指示された場所即検証図面の(ロ)点の海軍廃船にこぎつけロープを受取り代金二千五百円を支払うた。

(ニ) 引渡の現場に相手方の外一名が居つた相手方の服装はジヤンバー、白ズボンで占領軍払下の水色の長靴をはいておつた。

以上の主張は逮捕の時より終始一貫しておる。

第二検察官提出の証拠の価値

(一) 下津兼男仮下請書、同人の被害上申書、同人供述書、逮捕手続は孰れも盗難の事実と被告人が盗難品を伝馬船で運搬した事実とを立証するだけで被告人がそれを窃取したと云う事実は之を立証し得ない。

(二) 安井、藤井両証人の証言は逮捕当時の実験と被告人から聴取つたところに基いたものと思はれるが左の諸点で被告人に不利益ではなく却つて被告人の主張を立証する形である即

(い) 被告人は伝馬船にロープを積込んで他の一名に船をこがせ竹崎町岸壁の巡査派出所附近に乗付けたこの事実は被告人に窃盗又は賍物の自覚のないことを証明する若しその自覚があるならば敢て為し得ざるところである。被告人はこの附近の地理に明るいであろうから殊更巡査の見張る場所を選ぶはずがない。

(ろ) 逮捕されたのは被告人と木村某との両名であるが木村は被告人の帰航の途中を呼止めて海士郷(検証図面の(イ)点は木村、(ロ)点は老、(ロ)点の後の一村鉄工所の次の四角に海に出たところが海士郷船着場)から便乗した事実が明瞭となつて釈放せられたこの事実は被告人がこの証人達に答えたところと符合することを証明すると共に被告人が単独で現場に乗込み相手方と取引を済ませて帰つた来たことを証明し得るものである。

(は) ロープは重さ十貫位で一人では取扱いにくいと云う点であるが、重さ十貫は人によつて必ずしも取扱いが困難ではあるまいけれども、ロープの如きものはその形状と容積とから判断して十貫の重量があれば一人では取扱い困難であることは推測出来るのみならず、この証人等は押収した現品に接しておるので、その点は信憑するに足る。果して然らば是亦被告人が廃船上に於て相手方と取引したと云う主張を裏付けるものである。

(に) 琴平丸の所在をさがしたが遂に見当らないと云う証言も亦被告人の不利益となり得ない。何んとなれば売買の相手方が自ら船員であることを信んぜしめる為め虚構の事を告げ以て被告人をして斯く信んぜしめたものと推測を容れる余地があるからである。

(ほ) 被告人の出処進退極めて明瞭で両証人に対し答えたところに何等暗い影を存しない。

(三) 被害者下津兼男の証言に於て同人は昭和二十五年三月二十六日自己の乗船である艀舟第二三号に帰つたところ伝馬船二隻各一人づつ乗つて近づいて来るのを見たと云うだけに止まつて詳細は一切不明である。盗難の事実は翌日に至つて知つた程であるからその所謂伝馬船はどんなものであつたか被告人使用のものと同一か否か、その伝馬船を艀舟に乗付けたかどうか乗付けたとすればどんな人物であつたか、将又その人物は被告人と同一であつたかどうか、特に対岸の漁港にはおびただしく大小の船舶が常時碇泊しておるので、伝馬船も亦従つて多数動いておる天下の漁港下関に於て、一、二隻の伝馬船を見たと云うだけで被告人の乗船と認定する訳に行かないのである。果して然らば本件ロープは如何にして如何なる経路で被告人の手に帰したかはこの証人で到底立証出来ない。

(四) 阿比留竹次郎の証言に於て同人は朝七時半から午後五時半まで廃船の見張をしておるのであるが、事件の当日廃船上にロープは見なかつたと云う。而して勤務時間後は夜警の者が来ると云う事も認め得られるが果してその夜警が規則正しくその晩部署に着いたかどうか、その夜警の警戒範囲は廃船の監視だけに止まるかどうか、或は町内全体ではないか等の疑問があるのみならず被告人の主張する取引時刻は偶然にも阿比留証人の退出後であつて、夜警の来るまでの間に於て行われたものであるとの推認も可能であるから、ロープを廃船上で買取つたと云う被告人の主張も反駁する力はない。

以上の如く検討し来れば証拠は不充分で却つて被告人の主張を立証するか少くとも、之を容れる妨げとなるものはない特に藤井証人のロープは一人では扱いにくい旨の証言は相手方ある取引なる旨の被告人の主張を裏書するもので単独犯を主張する公訴事実に却つて不利益である。

要するに原判決は採証の法則に達背して罪を断じた不法あるものと謂はざるを得ない。

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